絵画のGive & Take

1998-06-20

Giveの絵 Takeの絵

絵画作品が倉庫に眠っているだけで鑑賞する人がいないと作品の存在価値は半減します。

作品と鑑賞者の両者によってアートの世界が成立するものです。

 

絵画は大胆にギブ(Give)の絵とテイク(Take)の絵に分けることができます。

無論、その中間のGive-Takeの絵もあります。

Takeの絵は、わかりやすく言うと具象絵画であって、見る人は絵から情報を受け取ることができます。

一方、Giveの絵は、抽象的な絵画で具体的な情報は省かれ、単純化されています。

見る人から何らかの情報を与えることによって絵は成立するものです。

社会はGive & Takeで成り立っていますが、絵画の世界も同じことが言えます。

古典的な絵画はTakeの絵がほとんどです。

その代表的な絵は宗教画でしょう。

魚やパンを描いていれば、それはキリストを意味しています。

レオナルドダヴィンチのモナリザにしても多くの情報が絵の中に隠されています。

 

一方、Giveの絵はどういうものかと言いますと、Takeの絵からどんどん具体的な人物、花などが省略、コンデンス、破壊、削除されて純粋絵画となっています。

マークロスコ、サム・フランシス、ジャクソン・ボロックなどの絵画が代表例です。

Giveの絵は情報を極力抑えて、見る人から何かを引き出そうとしているのです。

抽象画がわからない

抽象画がわからないという人は、絵画からいつも何かをもらうことばかり考えています。

有り難い芸術を鑑賞することによって何か満足するもの、と思いこんでいますから、単純化された、現代絵画や抽象絵画がわからないと言っているのです。

グラフから明らかなように絵は抽象化すると情報量が減ってきます。

が、抽象化することによって具象画では表現できなかった広大なイメージの世界も展開できるのです。

 

情報量が限界まで切りつめられ抽象絵画を観るには鑑賞者から何かを発信することもあるということをしっかり認識する必要があります。

見る人に感性、知性、経験、場、解釈やその人の視点などが求められているのです。

それによって、アートは成立します。

 

抽象画は受身では見てもわからないという結果になるだけです。

ただ、情報量が多い具象画だからといってその絵がわかりやすいか、というと一概にそうとは限りません。

例えばベーコンの絵は人物を描いていますが、その解釈は難解です。

 

情報量によって難しい・やさしいと言うことはできず等価なのです。

また、具象画はわかりやすく、抽象画はわからないという図式も成り立ちません。
ただ今まで芸術は有り難く鑑賞するものと思いこんでいると、現代絵画はわからないということになるのです。